Jul 01, 2009

職員研修にしてしまった失敗談

職場で従業員の研修を受けた時を休憩時間に"お前、数学科卒だと。すれば、この計算を解いてもらえますか?プログラミングに必要なため"と、どのような数式を解くように、先輩の言うことです。意欲私は仕事を優先に社員研修を無視して、数学の問題に没頭したが、後に"新人社員研修が優先"と呼ばれ、怒っています。当然ですよね。
事務用品でお馴染みのクリアファイルです紙を挟むだけでなく、様々なところで活躍しています。私のお気に入りの方法は、ハンカチの収納です。子供が二人のために毎日新しいハンカチをそれぞれ持たせるため、ハンカチの量が多くなってしまいました。子供なりに見栄があるようで、同じハンカチだけで恥ずかしいと呼ばれます。ハンカチも量が多いと引き出しに入れてもフワフワ膨らん出入りするときかかったり、せっかくアイロンをかけても変なシワができています。そこでクリアファイルにハンカチの色、他のキャラクター別素材別に入れてしまうことにしました。これにより、好きなハンカチにも簡単に見つけることの引き出しにかかることがあります。
 東日本大震災で肉親や自宅を失った人の多くが「せめて家族の記念の品だけでも取り戻したい」との思いを募らせている。各被災地では、ボランティアによる「思い出探し隊」が相次いで発足。保存や復旧のできるタイムリミットが刻々と迫る中、もう一つの救出作戦が続く。

 家族写真、卒業証書、ランドセル…。名取市の閖上小体育館の壁やフロアは、泥の跡が残った品々で埋め尽くされていた。
 「見て、見て。この卒業アルバム、私が小学生のときのだよ」
 名取市出身の会社員大内友香さん(36)=埼玉県春日部市=は数時間をかけ、ついに「思い出」を探し出した。
 実家は津波で流失し、父親が亡くなった。「せめて家族との写真だけでも見つからないかと思って。来たかいがあった」
 閖上小体育館は4月上旬から、持ち主の分からない品々の保管場所になっている。震災で亡くなった人の遺影用写真を探す遺族もいるという。
 祖父母の位牌(いはい)を探しに来た男性は「お寺に納められていたばあちゃんの位牌が戻った。こんなにすぐ見つかるとは思わなかった」と話した。
 がれきを撤去している自衛隊員が現場から持ち帰り、ボランティアの「閖上人思い出探し隊」が、丁寧に泥を拭いて整理している。思い出探し隊は、仙台市若林区の会社員竹沢さおりさん(35)がインターネットで呼び掛けて結成した。
 同様の活動は宮城県七ケ浜町、岩手県大槌町など各被災地に広がっている。
 宮城県南三陸町は3月末、町災害ボランティアセンターを中心に回収を始めた。センターは「拾い集めた写真の洗浄に大手カメラ会社が協力を申し出てくれた。今後、持ち主への返還手順などを調整したい」と言う。
 一方、仙台市沿岸部の被災地域は、ボランティアの立ち入りが規制されており、回収作業も遅れている。
 市環境企画課は「被災現場はがれきの撤去作業で危険。金銭的価値のある物も落ちているので民間の方による回収は控えてほしい」と説明する。
 宮城野区の会社員堀江雄一さん(40)は、知人らと独自に回収の準備を進めている。大量の泥が流れ込んだ市中野コミュニティセンター体育館を清掃し、保管所にしたい考えだ。
 堀江さんは「雨が降れば写真の劣化が進む。市の対応を待っていては、われわれの思い出は消えていくだけだ」と焦りを募らせる。
 仙台市は22日、津波で被害を受けた地域の住宅地で、がれきの撤去作業を始める。対象地区を事前告知し、必要があれば所有者の立ち会いを認めることも検討している。
 市は「住宅地部分でのがれき撤去に合わせ、写真などの回収も進められるはずだ」(環境企画課)と言うが、保管場所など具体的なことは決まっていない。
 撤去までの限られた期間で大切な品を運び出すには、行政とボランティアなどが一体となった組織の編成が課題になりそうだ。
(小島直広、亀山貴裕)

 本格的な花見シーズンを迎えて初の週末となった16日、福島市の花見山公園には約3000人が訪れ、満開になった桜などの花々を楽しんだ。福島第1原発事故の影響で例年に比べ人出は10分の1にとどまったが、根強いファンがマスクや帽子を身に着けて鮮やかな春を楽しんだ。
 福島市は13日から連日好天に恵まれ、花見山公園ではヒガンザクラやトウカイザクラ、レンギョウ、ハナモモなどが一気に見ごろを迎えた。
 両親とともにきた二本松市の会社員中村博明さん(38)は「放射線が怖いので外出は控えていたが、親の気分転換も兼ねて来ました。ようやく春になった感じ」と話していた。
 ことしは、原発事故でほとんどの旅行会社が花見山へのツアーの予定をキャンセル。大型バスやJR福島駅からのシャトルバスは姿を消し、関連イベントも中止になった。
 それでも、駐車場には「宮城」などの県外ナンバーも目立ち、花を楽しむ人は、今後も訪れそうだ。花見山を管理する阿部一夫さん(59)によると、園内の桜の見ごろは来週いっぱいだという。

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた東松島市矢本立沼地区の住民が、居住地を市内の別の地域に移す集団移転の方針を決めた。このほど開いた地区全体会で、出席した持ち家のある50人が全員一致で合意した。
 現在地で生活を再建しても、いつ再び津波被害を受けるか分からないという不安が、住み慣れた土地を手放す苦渋の決断を促した。
 約180世帯、450人が住む立沼地区は今回の被災で18人が犠牲となり、大半の住宅が損壊。平野部が多い立地条件を生かした農業施設も大きな打撃を受けた。
 被災1カ月の11日に立沼地区センターで開かれた地区全体会では、「住宅ローンなどを抱え、補償がなければ移住は難しい」との意見も出た。しかし、「生活基盤を一瞬にして奪う津波に毎日おびえて過ごすのは耐えられない」「安心の暮らしがほしい」といった声が噴出した。
 まとめ役を務める行政区長の農業大野哲朗さん(55)=東松島市矢本沼南=も津波で母親を亡くし、多額の設備投資をした鉄骨ビニールハウスや、水田が壊滅した。「住民には津波の悪夢が消えない。集団移転は生活基盤再建の第一歩。隣近所一緒の移住は心強く、今後の希望になる」と将来を見据える。
 東松島市がまとめた復興指針では、市街地復興のため集団移転も打ち出している。阿部秀保市長は「国、県と連携し早期に被災地の整備方針を示し、将来への道筋を定める」と強調する。
 移転用地の確保など不透明な部分はあるが、各自治体が安全なまちづくりを復興の基本方針に据える中、住民自らが集団移転を決断した今回のケースは、同様の被害を受けた被災地の判断にも影響を与えそうだ。(白幡和弘)

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